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追悼

毎年欠かさず送っている恩師への年賀状。
いつもお返しという時期に返ってくるのが、今年は少し遅れてご家族からの寒中見舞いとして届いた。
昨年6月に永眠されたとの事。

私事だが子供のころから算数が得意だった。(※当者比)
算数が数学に変わっても高校1年生までは得意科目で。
ところが高校2年生でその高校の特進クラスに入ってから、あまり得意じゃなくなっていった。
いつの間にか落ちこぼれていて、大学だって受かるはずもなく、浪人。

予備校に入って一番最初に受けた数学の実力テストは予備校の中で下から3番目だった。
下の2人は数学が必要ない学校を受ける、数学を勉強しない人たちで、実質最下位。
数学に支えられて生きてきたと思っていた自分が数学に足を引っ張られているなんて…知らぬ間にここまで落ちたものかと愕然とした。
そして何よりもまず数学の自信を取り戻そうと勉強を始めた。
そんな時に出会ったのが予備校の数学の先生。
気さくで、面白くて、授業以外の時間は公園に行って一緒にサッカーをしてくれて。
週に3日だけ来る先生だったけど、うち1日は寮に泊まりだった。
そこで泊りの日には先生の部屋を訪ねて個人的に教わるようになった。
先生も毎週、自分用に個別の課題を作ってくれて。
それを続けていくうちに数学の成績は上がり、得意科目に戻っていた。
それに引っ張られるように全体的な成績も上がっていって、その年無事大学に合格することが出来た。

先生は浪人時代の、ややもすると暗い歴史でもある1年に彩を与えてくれた。
おかげで、その1年で出会えた仲間ともいまだに仲良く連絡を取り合っている。
会おう会おうと言いながらなかなか会えなかったので、3年前の夏に自ら企画して東京で同窓会を開いた。
2019.8.10|同窓会

先生も呼ぼうと誘ったが、体調が悪くて入院したというのでまたの機会に。
酒の席で電話をしようという話になり、電話をかけた。
みんなで代わる代わる話したなかで、入院先の病院名を聞きだすことができた。
そこは東京からさらに奥、千葉の東の海の近くの病院。
まさか訪ねてこないだろうと思ったんだろうが、私は帰る予定を1日ずらしてお見舞いにいった。
行ってみたら大きな病院で。
今どき突然行ってもどこに入院しているかなんて教えてくれやしない。
最悪、1部屋ずつ探すしかないなと思いながら、インフォメーションで一芝居の末に病室は判明。
無事再開を果たすことが出来た。

久々に会えたら話したかったこともたくさんあったけれど。
感謝の気持ちだってちゃんと伝えられないまま帰ってきてしまった。
またね、ということで。

足の骨折で入院との事だったが、自分も医者の端くれなので、なんとなく分かるものがある。
そんな元気じゃないな…って。
次、いつ会えるのかも分からなかったけれど、結局それはかなわなかった。
半分、そんなこともあるかもしれないなって思ってもいた。
「またね」は来なかったけどせめて1回、顔を見に行けたので良かったな。

やれるときにやれることをやる。
いろんな意味で消極的になっている今の自分に必要なこと。
そして恩師から最後に学んだこと。